久々に「腑に落ちない」と思うことがあった。
それが
先進国のエゴなのか
先進国の教えなのか
今の私には区別がつかない。
ただ、
先人の教えに「人はこうであれ」「人生はこうであれ」
など、人や考え方についてのものは代々残っているが
先人が作った「モノ」は、
「教え」に比べてあまり残っていないように思える。
今日のこと…
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パプアニューギニアの政府観光局の方などから
「サーフィン・キッズ・プロジェクト」についての話を聞いてきた。
雑誌の取材でサーフィンのプロがパプアニューギニア(以下パプア)に訪れた。
パプアの波の素晴らしさに心奪われると同時に
サーフボードの不足に気付く。
村人たちはサーフィンができていないのだ。
だから
「寄付」して
「教える」
もちろん、サーファーは環境問題について真剣に考えている人が多いし、
活動もするし、反対運動もする。
かなりの自然人たちだということは、よく聞く。
だからサーファーが悪いって言ってるんじゃないんだ。
寄付したサーフボードを利用して
「大会」を開催したり
「評価」したり
「表彰」したりする。
評価を聞いた子ども達の上達力はすごく、
サーフィンが職になる、ということも教えられた
サーフボードがないだけで、彼らには波に乗るセンスがある
寄付したボードに乗った子ども達の笑顔は忘れられない
そしてその人は言った
「
パプアは、行くたびにテストされている気分になる
あなたは純粋に国を理解できるのか、って。
それに、貧しい国なのにすごいニコニコしているんだ。
お金がなくても、食や住に苦労していないし、
自給自足ができている。
それに助け合いのコミュニティーもすごい。
ストレスがないんだろうね。
パプアニューギニアの人達の笑顔が、一番好きだよ。
自然も含め、この国を、これらを守りたいと思っている
」
と。
さて、サーフィンをする前は、子ども達は何をしていたの?
「自給自足だからね。林業や漁業を手伝うんだよ。
手伝わないで、サーフィンする子も出てきちゃったけど(笑)」
私のなかで、もやもやは増えていった。
その国にサーフボードがないのには、理由があったんじゃないかと。
実際、サーフボードを持ち込んで、変わる子どもが出てきてしまった。
外から、外のものを持ち込んだ。
内の人が、声を出して望んだわけではないのに。
また、観光という産業を起こそうとしている。
もちろん、がむしゃらに開発するのではなく、
彼らの意見を尊重しつつ、
国の自然を守っていける観光スタイルを教えていきたい、と。
そう思ってない業者に乗り込まれて、パプアが壊されるよりはよっぽどいいかもしれない。
それでも、
先進国が、
ものを与えてよかったのか。
観光だとか、産業だとか、ビジネスだとかいう考えを教えて良かったのか
もう少し考えよう。
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